目標設定は自分の能力と可能性をむしばむ麻薬のような存在ではないか?

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みなさんには目標はありますか?

 

夢はありますか?

 

一般的に目標を持って生きた方が良いとよく言われます。

夢を持って働いた方がよいとよく言われます。

目標を達成するのが喜びという人もいるでしょう。

夢を持って、目標を立ててそれを実行していく人がカッコイイという風潮さえあるように感じます。

 

 

しかしこうとも言えるのではないでしょうか。

 

目標や夢は麻薬のようなもの

 

 

 

上場企業や政府が、株主や国民からの非難を避けるために目標を設定し、要求に応えるという意味での目標は有効でしょう。

しかしそれは、「必要不可欠だからつくる」のではなく、「しょうがないのでつくる」のではないでしょうか。

「社会的な利害関係者が多くなり過ぎてしまうので、目標を立てざるを得ない」

というのが本音ではないでしょうか。

 

 

上場企業や政府レベルでの意思決定は目標でよいとしても

個人レベルの意思決定に目標や夢を適用してよいのでしょうか?

 

 

 

「目標を立てる」

という行動の背景には

「成長しないといけない」

という強迫観念があると思います。

 

目標を立てないとどうなるのでしょう?

 

その答えはただ単に

「怒られる」「嫌われる」「目標がないとしょうもない人だと思われる」

という外的な理由のみだと思います。

 

 

しかし、木や動物がわざわざ成長目標を立てるでしょうか?

彼らは目標なんて立てていないと思います。

 

そもそも、赤ちゃんのときに「歩こう!」なんて目標を立てて、計画的に歩行訓練をした人はいますか?

 

つまり、目標を立てるとか、夢をつくる

なんてことは、本来人間が持つ自然な行動ではなく、後付けで考えられた不自然な行動だと思うわけです。

不安や恐怖が、夢や目標を生み出していると思います。

 

仮に目標を持たないとどうなるでしょうか?

予定を立てないとどうなるでしょうか?

 

明日何をすればよいかわからなくなりますよね。

 

目標がないと、

何をすればいいかわからなくなるのが怖い。

お金がなくなって生活できなくなるのが怖い。

無計画に生きて嫌われるのが怖い。

 

 

だから目標を立て、夢を作っているのでしょう。

 

 

したがって目標というのは完全に後ろ向きな行為です。

自分の体と脳にとってはブレーキです。

 

大木がなにも目標がなくてもすくすく育つように、

人間もなにも目標がなくてもすくすく育つはずです。

 

 

 

人は取り立てて目標を立てなくても、

嫌われるのはいやだし、貧しいのはいやだし、選択を制限されるのを拒みます。

 

そういう生き物だと思います。

放っておけば豊かになる方に全精力をかける動物なんだと思います。

 

ある程度実績を出してきた人は特に、自分自身の制限をはずすためにも目標設定をやめたほうがよいです。

 

 

目標設定ではなく、自然体で生きるというのは生理学的にも正しいです。

目標を持つというのは大脳的な行為ですが、目標を持たないというのは脳幹的な行為です。

 

超人的な状態を作るのに肝となるのが、原始的な部位と言われる脳幹や大脳基底核のコントロールです。

理化学研究所|将棋プロ棋士のひらめきに見られる大脳基底核の特異な動き

 

体と脳のブレーキを外した人はインプットアウトプットの能力が常人の数百倍に高まります。

 

 

1人の人間は組織を変えます。

『突出したエンジニアは平凡なエンジニアの1万倍の付加価値を作る』とビルゲイツは言います。

突出したエンジニアは標準的なエンジニアの100倍〜1万倍の報酬を得るというのはシリコンバレーではよく知られた事実です。

 

突出するために必要なのは自然であること。

不自然なことをやめればよいです。

 

常に必然を期待するのをやめること。

 

余計なことをしないこと。

 

武道の世界でも、何もしないことによって脳と体のパフォーマンスを最大化するという修行方法があります。

 

少年たちのバイブル、週刊少年ジャンプでもそのようなくだりがあります。

ハンターハンターのネテロ会長が最終的に祈りを重んじたことや、

netero

孫悟空がセル戦の前に精神と時の部屋で目をつぶってじっとしていたのはまさに理にかなっています。

そのあと悟空と悟飯はセル戦までの9日間、スーパーサイヤ人状態で遊び続けます。

 

 

 

余計なことをしないと決めれば、あとは普段の習慣を演繹する形で偶然が起こります。

 

普段から運のよいことをしていれば、土壇場でも運がよい。

普段から運の悪いことをしていれば、土壇場でも運が悪い。

 

これはその人が

意図的に、必然的に偶然を作っている人なのか?

それとも

偶然を単なる「偶然」としか認識していないのか?

の違いでしょう。

 

偶然を作りにいく能力が、未来を作ります。

 

 

 

ちなみに、『偶然』は

他のものとの因果関係がはっきりせず、予期できないような仕方で物事が起こること。 

という意味を持っています。

 

一方、『自然』は

そのものに本来備わっている性質。天性。本性。

という意味を持つとともに、

たまたま。偶然。万が一

という意味も持ちます。

 

したがって、偶然⇨自然であると言えるのではないでしょうか?

 

偶然や自然をコントロールする能力は、目標設定によって身につくものではありません。習慣によって身につきます。

 

未来(目標)はまだ起こっていないので変えられません。

しかし、現在起こっていること(習慣)は変えられます。

帰納ではなく演繹です。

 

しかしながら、

どうしても目標を立ててしまう。

 

そういう時はどうすればいいのか?

 

自然のなかに入り込んで行くことです。

自然は目の前にあります。

 

自分の心臓音と、呼吸こそが自然の現れです。空気も、携帯電話も自然物です。

 

なるものはそうなるし、ならないものはならないのが自然です。

自然体で生きている人に会ったり相談することも、自分の能力を解放するのに役に立つでしょう。

 

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まとめると、

目標や夢は固執してしまうと自分を制約する枷(かせ)となり、一時的な安堵を生み出す麻薬のような存在になりうる。

目標に固執していると、能力が制限されます。

呼吸は浅くなり、

鼓動は感じられなくなり、

視力は下がり、

耳は聞こえづらくなり、

鼻は詰まり、

声は小さくなり、

ご飯の味がしなくなり、

時が経てば立つほど体が重くなってくると思います。

 

 

しかし、それに気づいてもやめられない魔力が、目標にはあります。

実現するものは夢とは言いません。実現するものは現実です。自然です。

目標なんか立てなくても、育つものは育ちます。

不自然な流れを止めるには選択が必要です。

常に臨戦状態だけど、余計なことは何もしない。

という選択が必要です。

そうしていれば、たった一握りのやるべきことは自然と浮かび上がってきます。

そうして起こる未来はあたかも偶然のように見えます。しかしこれはコントロールされた偶然です。

 

自然体で生きるために必要なのは、目標設定ではなく、習慣により偶然をコントロールすること。

目標や夢という不自然なものを無意味に作り、安住するのではなく、

習慣をコントロールすることで偶然を意図的に作り出し、自然体で生きることこそが、

自分の体と心の潜在能力を最大限に出し切り、

本来の天性を育てることができる唯一の道ではないかと思います。