伯楽一顧(はくらくのいっこ)

世に伯楽(はくらく)ありて、しかるのちに千里の馬あり

伯楽はもともと天馬を守る星の名前です。

伯楽と呼ばれるほどの名人だったのは、孫陽という名の馬の鑑定人で、紀元前600年代の周王朝に生きていた人です。

売れない馬でも、伯楽が道で一瞬振り返って見ただけで、価格が10倍になったと伝えられています。=伯楽一顧(はくらくの一顧)

世に伯楽(はくらく)ありて、しかるのちに千里の馬あり

とは、「伯楽に見いだされないと、千里の距離を走る名馬も名馬となれない」という意味です。

千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず

とも言われます。

「名馬はたくさんいるが、伯楽はめったにいない」

ということです。

転じて、能力を隠し持っている人(=名馬)は無数にいるが、能力を引き出すことができる人(伯楽)は一握りしかいないという意味です。

秦(しん)の穆公(ぼくこう)は、自分の部下で馬鑑定の名人である伯楽を大いに尊重していたのですが、彼も老齢となったため、秘訣を子供に伝えておくように命じました。

ところが伯楽は、

「私の子供は凡人でその素質はないと思います。馬を外見からみるだけなら、形や筋骨などで分かるのですが、千里の馬という名馬となれば、外見上の顔・姿・格好からでは判別できないのです」

良馬を見分けることができても、名馬を見分けられる人物は一握りしかいないとして、その能力を備えた人物として九方皐(きゅうほうこう)という人を紹介しました。

穆公は、喜んで、彼に名馬はどんな馬か?とたずねると、牝の黄色の馬だといいました。

早速それを取りにやらせると取ってきた馬は牡の黒毛の馬でした。

公は怒って伯楽を問い詰めると彼は、九方皐の「馬を観ず、天機を観る」姿勢にいたく感動したとのことです。

そして、この牡の黒毛の馬は実際、千里の名馬だったと言います。

転じて、ものごとの見た目ではなく、その本質を見抜くことのたとえを

牝牡驪黄(ひんぼりこう)

というようになりました。

馬の話ですが、これはたとえ話であり、実は人の可能性の引き出し方に関して語られています。

経歴や外見や即座の反応にとらわれると、真の才能が見えない。
人を見抜くコツは、まさに天機を読むこと。

表面の能力を超えた、

その人が持っている先天的な運とも言えるでしょうか。

馬の資質を見抜く力を相馬眼(そうまがん)といいます。

相馬眼ーWikipedia

優れた相馬眼を持つとされる人々が具体的にどの点を見ているのかは千差万別であるが、一般的には、馬体の骨格や歩行動作、顔つき、筋肉の付き方、馬の性格等を総合的に判断していると言われる。しかしながら、最終的な判断においては、自身の経験に基づく直感に頼る場合も多く、優れた相馬眼を持つと言われる人達は、この直感が非常に秀でているとされる。そのため、自身が選択した馬の選択理由を口頭で表現しづらい事も多いという。一方で現代の競走馬については、近親繁殖を繰り返し遺伝構成がどの馬も似通っているため、その外見からは能力を判断できないとする意見もあり、動物行動学者のデズモンド・モリスは「栄光と屈辱を分ける決定的な要因は、個々の循環器系の効率である。違いの秘密は外見では分からない内臓にある」としている。

すぐれた馬が循環器や呼吸器などの内臓機能を直感で捉えることで判別できるのではないかという説があります。

今、表出している能力(良馬)ではなく、内在価値を捉えようとすると(名馬)、直感が役立ちますね。

ちなみに、僕の得意分野も伯楽一顧です☆

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