「食べる」ということは人生と人生のぶつかりあいだ!

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食べずに呼吸だけするブレサリアンや、水だけしか飲まないリキッダリアンが世の中にはいると言われます。

もし彼らが人間の進化の行き着くところだとしたら、

栄養をとることが目的なのであれば呼吸だけにしたほうがダンゼン効率がいい。

食べるということは消化吸収の負担がかかるリスクのある行為だということになってしまう。

そうなると、”食べる”というリスクのある行為を、人がなぜ数万年単位で続けているのか?気になってくる。

意識レベルではお腹がすくからというところだが、無意識レベルでは違う理由なのではないか。

栄養を採るということは副次的な結果でしかない。

栄養を採るという目的なら違う手段のほうが効率がよい。

なぜ食べ続けるのか?

1つ、思いついた

人は一人でいるときのほうが気が楽なのに、人に会おうとする。

喧嘩別れする可能性があっても、新しい人と出会う

なんにもしないで寝ているのが一番安全だが、外出する

食べるということもこれと同じなのではないかと思った。

新しい刺激と情報に触れることによって、

自分のなかにあったストーリーに突然変異が起きる可能性がある

その新しい刺激を探して、

わざわざリスクをとって前にすすむ

食べるという行為は「出会う」ということであり、

映画をみることや、人と意気投合して盛り上がることと同じ行為ということだ。

食べ物を食べるとき、注意深く無意識の領域も使いながら食べれば、

ドラマが見える。

たとえば、米を食べるとき、注意深く食べていれば、

大切に育てられた米かどうかはわかるはず

他にも、

米の生産地や生産した人の意識、流通経路、米をはぐくんだ土地の栄養分、

品種改良を重ねてきた歴史、

米を育てた雨や、その雨が海や山や地球中を循環してそこにやってきたこと…

そして、同じ時代に生まれ、このタイミングで同じ時間を共有した奇跡

いろいろ情報が押し寄せてくる。

米が持っているドラマと出会う

食べるとき、人生と人生がぶつかりあう

歴史と歴史がぶつかり合う

食べる人と食べられるものの間に、人生のぶつかりあいがおきて、新しいストーリーが生まれて、それぞれの歴史が変わる。

もちろんいつもそうなるというわけではないが、時たま顔を出す、この化学変化を求めて、人はいつも食べ物を求め、味わい、愛でているのではないか

そう考えると、食べるということも、リスクだけあるのではなくて、味わい深いことなんだな。

食べるということも悪くないな

カレーをゆっくり噛んで味わいながら、じっくり考えるために3杯おかわりして、考えてみた休日でした

おわり

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ヘルスィーTANA☆AKK

ヘルスィーTANA☆AKK

タナーク株式会社/代表取締役社長売上UP実績はこちら
趣味:呼吸。住所:地球。企業顧問を常時10社以上こなす体を緩める起業家。プロフィール・会社概要はこちら
tanaakk
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